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遠のく富士の世界遺産 詩 人 長谷川 冨貴
東海道新幹線で西に行くとき、小田原あたりで富士山の頂きが見えはじめるが全容を捉えるのは静岡県に入ってからである。窓いっぱいに富士の姿を見たとき、車内がざわつき始めるのが常だ。
日本人の好きな山、あこがれる山だ。遠く万葉の頃から詩歌に詠まれ、また、人々の信仰を集め富士講など参けい登山が盛んだった。現代は切手や紙幣に使われ身近にしてくれる。
絵画にも有名な北斎の「富嶽三十六景」や広重、横山大観、それに五姓田義松の富士は、誰もが知っているし、各市町村には富士見町や富士見ケ丘の地名がある。わが藤沢にも三富士町がある。三様の富士が眺められるからだと聞いたことがある。また、津軽富士(青森)や利尻富士(北海道)、田村富士(福島)など親しまれている山は、全国で100以上あるそうだ。
富士の姿は文句なく美しい。しかし、うっとりとばかりはしていられない。それは活火山で、いつ噴火するか分らないからである。最後の噴火から300年を経ている。つまり、噴火は1707(宝永4)年で、東海地震の100年から150周期をあわせて考えると、噴火は近い、と学者の説がある。
資料によると、宝永の噴火のときはマグマが噴出し、噴煙も10数キロ上空に達し、火山灰は戸塚、川崎まで降った、というから藤沢あたりは安心していられない。
作家太宰治は『富士に月見草がよく似合う』と、情緒的な言葉を残している。そんな美しい富士の裾野に戦後まもなく、自衛隊の射撃演習地が出来た。詩人深尾須磨子は『富士を撃つのは誰だ』の詩を発表し、世間に訴えた。
あるとき私は、写真の仲間3人と御殿場側から入って写真を撮っていた。すると戦車がこちらに向かって来るではないか。頑丈な黒々とした戦車は恐ろしかった。迷彩服の男が顔を出し、「お前ら、ここにイチャイケネェゾォー、命は保障シネェゾォー」と言い放った。仲間はあわてて元の道路に引き返したが、みんな緊張しきった顔をしていた。そんな折、山頂から一筋の白いもの。何と、それは流されたトイレットペーパーだった、とか。
浄土思想に包まれた「平泉」(岩手県)が、世界遺産候補から落選した。3年後、再挑戦するが国は、後続の候補は先送り、とか。すると最後尾の富士はいつになることやら。やれやれ、「この分だと富士の世界遺産もますます遠のく」と心配してしまうのである。
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