バックナンバー

 聖医・名医・良医

 戦後の昭和21年から25年間、小田急座間駅の近くで開業し、昭和46年に70歳で亡くなった庵政三という町医者がいた。昭和46年の文藝春秋「ここに聖医ありき(ある町医者の生涯)」=福林正之著=に詳しいが、その記事から聖医と言われた町医者を紹介する。たまたま庵先生の次男幸雄氏が筆者の知人であり、記事紹介の許可を得た。

  座間の農村地帯の一角に庵医院はあった。玄関を開けると2畳の待合室、4畳半の診察室、8畳の家族居間、3畳の薬室が続き、台所やトイレなどを併せても17坪しかなかった。先生は午前中は医院で診察、午後は自転車で農村地帯の患家を走り回った。夜中にたたき起こされることもしばしばで、夜中に戸をたたかれれば家族が目を覚ますので、先生は玄関の2畳間に寝ていた。どんな貧しい患者でも誠心誠意を尽くした。治療代の請求には心が重かったようで、国民保険制度が創設された時は大変喜んだという。看護師もおかず、先生はひとりで何でもした。3人の男の子は廊下で勉強した。ちなみに長男政志氏は医師となった。筆者の大先輩でもあるが、肝臓病の大家となった。

 昨年来、藤沢医師会では「藤沢の医療を考える集い」を企画、ミニ集会などで市民との対話に努めてきたが、その中で「夜、具合が悪くなった時にかかりつけ医の先生と連絡がとれない」「夜間に往診してくれる先生のリストはありませんか」という苦情と質問があった。

       昔から我が国の開業医は診療所と自宅が一緒で、戸をたたけば夜中でも診てもらえた。しかし、最近はテナントビルで診療する先生が多く、夜間は医師不在となる。

 時代背景が違うので、単純比較は適切ではないが、当時は超音波、内視鏡、CT、MRIなどの画像診断法はなく、検査といっても心電図、レントゲンくらいしかなかった。急に具合が悪くなった時、病院に行くのも往診してもらうのも診療レベルに大差はなかった。しかし、今は聴診器の時代ではない。急患は一刻も早く病院で診てもらうべきであろう。藤沢市では365日、夜間急病診療所や、在宅当番病院(輪番制)が開いているし、いざとなれば市民病院の救命センターもある。

だが、庵先生にみる仁医の心は今も昔も変わりはない。この3月、我が国の肝臓移植手術を確立した東大の幕内教授が退官された。名医とたたえられた教授は「しっかり勉強して、365日しっかり患者さんを診る、結局医者に休みはないんだ、そのことに矛盾を感じなくなればきっとよい治療ができるよ」と後輩を諭した。

しかし医師にも家族はあるし、休息が必要だ。聖医、名医でなくとも、勉強を怠らず患者さんのことを真剣に考えてあげる医師であれば良医だ。

【追 記】前回、肺炎球菌感染症はワクチン接種で予防効果があること、5年以上経過すれば再接種もできると述べたが、現在我が国ではまだ再接種が認められていない。欧米諸国では再接種が実施されており、我が国でも専門家は再接種を勧めている。

 (別府 倫兄)

本ホームページに掲載の記事・写真など、一切の無断転載を禁じます。ご注意ください。
Copyright(C) 2006, The SHONAN ASAHI