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平成の源義経伝承史跡 郷土史研究家 平野 雅道

 平成11年6月建立「斎源義経公鎮霊
碑」とある

  平成11年、春のある日それは突然に電話が鳴った。聞き取りにくい東北弁。宮城県栗原郡栗駒町在住の菅原次男さんからだった。栗駒高原の温泉旅館「くりこま荘」を経営、かたわら自然歴史環境の保全に取り組まれているという。

 電話の話には驚いた。藤沢の白旗神社のご祭神のひとつは源義経であり、伝承史跡として「首洗い井戸」がある。栗駒町沼倉の地には判官森に「御葬札所(ごそうれいじょ)」といって義経公の胴体を祭った伝承史跡があるという。文治5年(1198)閏4月30日、衣川の館で義経は非業の最期を遂げた。6月13日に腰越の浜で首実検ののち棄(す)てられた首、伝承では境川をさかのぼり井戸で清められ白旗神社で祭られている、首の伝承があるなら、胴体は? という発想転換に迫られた。あっても不思議ではない。800年以上も分離されたままというのはいかにも淋しい。菅原さんの提案のひとつは分かれてしまった霊をひとつにしようというもの、驚いた。まだ提案が続く。いっしょになった御魂を栗駒町沼倉まで徒歩で持って行こうという。奥州路をたどり義経公しのびながら500キロ完歩するという。また驚いた。無茶な話だが、心がときめいた。

 2月梅の満開の時期、菅原さんは藤沢を訪れた。白幡神社にお願いした。近藤宮司さんは快諾された。4月私は史料収集のため栗駒町や平泉に飛んだ。沼倉の里が大好きになった。

 平成11年6月13日を供養祭の日と定め準備が始まった。宮司さんは慰霊塔を建立するという。あたらしい史跡が誕生したのである。栗駒町から5名修験者のいでたちで法螺(ほら)貝を合図に盛大に供養祭が挙行された。そのために菅原さんが制作された甲胄(かっちゅう)のうち兜(かぶと)に魂が入れられた。

 当日鎌倉宿泊、菅原さん一行は「迎霊使(げいれいし)」となり歩きはじめた。兜を奉納した笈(おい)を背負い1歩1歩。43日目栗駒町の夏祭りのひとつで供養祭が挙行され、鎧(よろい)に魂がはいった。藤沢から私を含め5名参加した。沼倉の里判官森「御葬札所」史跡で首と胴体の合同慰霊が7月25日に行われた。菅原さんは思わず涙を流された。男泣きである。3年前のことである。

 藤沢には白旗神社のご本殿上り口、左に慰霊供養塔が残され、沼倉には義経公の御魂である甲胄がくりこま荘に安置されている。あたらしい810年目の義経伝説である。

   
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