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白旗神社の石のご灯籠 郷土史研究家 平野 雅道
「灯籠」は「とうりゅう」と読んでしまう。「とうろう」でいいのだが、通常はご燈明とか常夜灯といわれる。石でできているので「石灯籠(いしとうろう)」とも言う。祭礼のときなど一晩中灯火をつけ夜でも位置を示している。
現在は周囲が明るくて風情がないが、電気設備のない時代には暗闇に源氏の紋「笹竜胆(ささりんどう)」がボッーと浮き上がったことだろう。
この石灯籠は江戸末期に建設された。写真の鳥居の左。
維時慶応元年歳在乙丑夏御神燈
六月例祭日建之
と灯火の下にきざまれている。灯籠には各部分に名称があり上から「宝珠・笠・火袋・中台・竿・地盤」というが、その竿の部分である。この灯籠は祭神への献上なので「御神燈(ごしんとう)」となる。例祭日は現在は7月だが、当時は6月15日から21日まで夏祭。慶応元年という年は藤沢宿では米価が高騰して1月坂戸町の宿民は常光寺に群集して米よこせと騒ぎ、5月に長州征伐が始まり幕府軍の派遣で助郷の大量動員や上納金が課せられるという時代の転換期である。
御神燈の下「地盤」と言われる部分には、発起世話人に「若松善太郎」の名がある。当時治安警察に力のあった人物で「道案内人」。「道案内」については拙稿『藤沢宿における治安維持』(藤沢市史研究36号所収)をご参照ください。若松屋はこのシリーズMで紹介したが明治14年の明治天皇行在所となった三橋家である。世話人は台町の人々の名が刻まれ「米屋・肴屋・鳶・餅屋・桶屋・傘屋・万屋」などの屋号がみえる。屋号万屋(よろずや)は質屋で当時金融業だった。
台町とは現在の白旗交差点から伊勢山橋付近までの町並で、その有力者たちである。宿場の生活が垣間見える。また周囲には浪と亀が見事に彫刻され白旗神社の由来を物語っている。
通常、常夜灯は江戸期には各宿場の出入り口などが設備され、旅人へ人家のあることを知らせていた。ホッとさせたことだろう。東海道の各地にはその史跡は多い。
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