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坂戸町名主役鈴木久兵衛 郷土史研究家 平野 雅道

白旗神社御社殿左右の天水桶 大河ドラマ「源義経」の影響で白旗神社に参拝する人々は多いが、社殿前の左右にある鋳造の天水桶(おけ)を気にするひとはいない。右手の桶をよく見ると大きな紋所笹竜胆(ささりんどう)の左に「天保六乙未歳十一月吉辰」右に「鈴木久兵衛庸榮=ようえ=(花押)」と文字が浮き上がっている。左手の桶も同様である。白旗神社略誌には文政3年(1820)2月8日火災により社殿・古文書類は焼失、天保6年(1835)冬に社殿を再建し現在に至るとある。

 天保5年から10年にかけて坂戸町年寄役だった鎌倉屋松兵衛が記した『町内手控(てひかえ)帳』にはこの間の詳細な記録がある。

  文政三辰二月八日八ツ半時分、真源寺より出火い
  たし、すわか谷(諏訪ヶ谷)・台・横丁竈=かまど=
  数都合百六軒白旗明神本てん(殿)焼失、南風に
て七ツ半過迄

 2月8日深夜3時、風早山真源寺が火元の火災は南風にのり午前5時過ぎまでに諏訪ヶ谷・台町・白旗横丁そして本殿まで焼失、被災戸数は106軒に及ぶ。3月22日にご神体を当時名主の広瀬家土蔵の仮屋に遷座する。被災宿民の救済と復興をまって天保6年本殿が再建されるまで15年の歳月を要した。7月夏祭りには神輿(みこし)が再現、9月27日本殿が再建される。

  天保六未九月二十七日、鎮守白旗明神へ内々にて御
  移り有之、名主久兵衛・年寄藤右衛門・年寄久右衛
  門御膳申候、翌二十八日雨天、宮式神米御座候、拝
  殿所右坂上二坂戸町高張提灯二巾立(略)

 坂戸町名主役鈴木久兵衛など有力者参列、食膳(ぜん)も用意され翌日雨天だが神式によりご神体が戻された。11月名主久兵衛はおそらく自費でこの天水桶を寄進したと思われる。本殿普請金は270両である。2年前から冷夏長雨による全国的飢饉(ききん)が始まっている。宿民の意気込みが読み取れる。

 他の当家史料から鈴木久兵衛は天保5年から7年まで名主役だったことが判明している。位置は現在の荘厳寺の前「吉野屋家具店」である。『相中留恩記略』には、代々三河屋、津久井から藤沢宿に移住したとある。先祖は三河国、徳川家康の御書を大切にしていた記録がある。

   
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