白旗神社に関する資料は、『白旗神社誌』と題した冊子が今年夏に発行された。社務所で有料だが分けてくれる。社殿は西暦1835年(天保6年)に造営されたとある。
藤沢宿坂戸町で旅籠(はたご)を経営していた鎌倉屋松兵衛の記録『町内手控(てびかえ)帳』がある。私の先祖であるが、天保期は白旗神社の氏子で世話役をしていた。白旗神社に関係する記録も多い、現在の社殿に関するものがある。
西暦1820年(文政3年)2月8日、午前3時台町にある真源寺から出火した火災は、諏訪ケ谷、台町、白旗横丁の家々そして白旗神社の社殿まで106軒が類焼した。南風によって午前5時まで、2時間であっという間に燃え広がった。推測すると春一番だったかもしれない。
8年後、坂戸町町内は45両を積み立て神社へわたされた。西暦1835(天保6年)15年後、合計で270両となった。5月には大工の棟梁(とうりょう)を決め、建具や戸板・障子も必要である。材木は隣の善行村から切り出した。神輿(みこし)もつくる、江戸神田の神輿屋に依頼した。ヒノキの柱、かつぎ棒は梅の白木とある。
この時期、2年前から関東・東北地方一帯は大飢饉(ききん)に見舞われている。夏の日照不足で米が生育しない、餓死者も出はじめていた。この時期だからこそ、ここは白旗神社を復興するいい機会と考えたと想像している。
9月27日、本殿に源義経のご神体を移し、坂戸町の名主・年寄役など招いて食膳を用意した。松兵衛の手控帳には、こう記されている。
天保六未、九月廿七日 鎮守白旗大明神へ内々にて御移り有之、名主久兵衛・年寄藤左衛門・年寄久右衛門 御膳申候 翌廿八日 雨天 宮式神米御座候 拝殿所右坂上に坂戸町高張弐巾立、就中中につき神前そろへ三かざり御膳之義者、荘厳寺にて如常に上申候
この時、荘厳寺が別当寺で白旗神社を管理運営していた。もともと宿場の中央南側、現在の位置に鎌倉時代に創建されたが江戸期には白旗神社の東隣にあった。明治時代の神仏分離令のとき元の位置に戻ったのである。天保6年に再建された白旗神社の社殿は、現在のもの、江戸期の建物として現存している。