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東海道五十三次藤沢宿浮世絵 郷土史研究家 平野 雅道

藤沢宿〜安藤広重「東海道五十三次」藤沢宿部分=保永堂版 近年東海道藤沢宿を歩く多くの人は、勘違いされる。そのひとつは現在の藤沢橋交差点からはこう見えない、もうひとつは鳥居があり、山が浮いているので江の島を描いていないか、というものである。  現在交通の要所となっている藤沢橋は、この浮世絵の橋ではない。藤沢橋は関東大震災復興事業のひとつとして国道を整備し大正14年(1925)、新たに架橋されたものである。藤沢橋から西にある通称「遊行寺橋」は江戸、明治期、正式名称は「大鋸橋」といい、浮世絵に描かれている。戸塚方面から遊行寺坂をくだり、薬局と印刷所の間にある道を右折し、遊行寺門前につく、次は左折して遊行寺橋に至るが、これが東海道である。

 また、浮き上がった丘陵と寺院は藤沢山清浄光寺(通称遊行寺)を描いている。江戸期にはあった仁王門と急坂のイロハ坂がその中央部分にある。さて鳥居であるが、文化3年(1806)江戸幕府測量絵図の『東海道分間延(のべ)絵図』には「江島弁天大鳥居」とあり、通称「一の鳥居」で藤沢宿から江の島への道が通じている。興味深いのは座頭(ざとう)四名が杖(つえ)を右手に鳥居をくぐろうとしている姿を描いていることである。座頭とは剃髪の盲人で琵琶・琴・三味線などで歌をうたい物語りを語り、または按摩(あんま)・鍼灸を生業としている。音曲の神として当時信仰の厚かった弁才天にお参りする江の島詣をここでは表現している。

 さて大鋸橋のことである。この延絵図には「字大鋸板橋」とあり浮世絵のものと同型のものと分かる。橋のほぼ中央に長い太刀を担いでいる男がいる。太刀講といい大山詣の一員である。この浮世絵は、藤沢宿のメインストリートの風景だけでなく江戸後期江の島詣・大山詣の中継宿場としてのにぎわいをも表現しているのである。

 平成7年11月祥伝社(しょうでんしゃ)発行の「ノンブツク」には『広重東海道五十三次の秘密』と題して再発見、その元絵は司馬江漢だ、と美術研究家の對中如雲氏が論述されている。藤沢宿だけを問題にすると確かに構図は司馬江漢と同一、座頭4名も同一である。違いは大鋸橋に女性二人と大山詣の男が広重の絵には加えられている。

 真偽はともかく江戸後期、世に知られた藤沢宿風景の定着イメージとして、私は好きである。

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