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朝鮮使節通行の見物 郷土史研究家 平野 雅道


 前回に引き続き寛延元年(1748)朝鮮通信使の宿場の様子をみよう。当家の史料『朝鮮人一件御用留帳』や当時の幕府御触書を見ると興味がつきない。街道の整備や通行時の禁止事項は特に多いが、意外にも見物は自由であることに気づく。ただしおとなしく行儀よくしていればである。おおまかではあるが、まとめると次のようである。

 【街道整備】
 @表通りの見苦しい家作は普請に心がけるA道橋修復は常のことだがこの機会に行うことB街道掃除はいつものことだが、特に1日前に、道作りは2日前に終らせ使節通過まで牛車大八車は通行できないC町中通筋に竹矢来を、通筋への横町にはくい違い竹垣を設置するD道筋橋詰には薪竹木を積んではならないE通行前の道には水を打つ、が手桶(おけ)は屋内にしまうF一里塚の植生や見付土手の矢来、並木は整備するG道端の石仏は取り除く

【朝鮮使節通行時の禁止】
 @火元の用心・喧嘩(けんか)争論の禁止A貴賎(きせん)問わず急用以外の横断は禁止B朝鮮人従者との物の売買禁止

【朝鮮使節見物】
 @2階や窓から簾(のれん)ごしで見物していい、ただし行儀よくA物干しからもかまわないが行儀よくB辻々横小路からも行儀よくC見物中は大声、高笑い、指さしは禁止

 事前の街道整備や通行時の安全確保だけでなくこのように見物は条件つきで許されている。

 一行の道筋では諸藩は安全確保のため護衛を厳重し、新築改装した客館での饗応(きょうおう)などに忙しい。その反面、学者・文人・画家などの交流は盛んに行われ、朱子学など先進的な文化を学ぶ機会となったのである。幅広い交流はのちに膨大な記録・詩歌・絵画・芸能を残している。確かに一行の目的は徳川将軍の交代時の祝賀であるから10年から20年ごとである。学者・文人にとっては貴重な機会だったのである。とくに庶民は異文化の刺激的な興味にあふれていたのである。

 左の「朝鮮人来朝図」は浮世絵の一部である。 威儀を正した一行と、軒下や矢来垣に幕を張り飾り立てた見物席、そして江戸町人の様子が描かれている。藤沢の通行もきっと表通りは見物人でいっぱいになったことだろう。


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