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藤沢宿の問屋場 郷土史研究家 平野 雅道


 東海道の各宿駅は幕府から公用人馬=百人百匹の常設を義務付けられていた。そのため一宿駅で屋敷地1万坪(3万3千平方b)の租税を免除され費用一切を負担する。利用する側から言うと無賃の特権がある。吉川弘文館刊行の『近世交通史料集11』にある「道中方覚書」に一覧がある。公用人馬には@幕府から朱印状A証文のある通行B特定の幕府御用の通行の三区分がある。@朱印状の代表例が公家・門跡など23の通行、身近なところでは遊行上人の往来がある。A証文には将軍の献上・京都進物など59の通行、面白いのは囚人の護送もある。B特定幕府御用は京都所司代・大阪城代などの15の往来、幕府代官の往来もある。

 諸大名の参勤交代は一覧表にはない。多くの方は公用だから無賃だ、と勘違いされる。参勤交代は大名側が徳川幕府への忠誠と奉公のためであって自費なのである。

 幕府の公用旅行者は旗本・御家人が多いが大名のときもある。江戸など出発するときは事前に必要人馬数・休泊地・日時など江戸の伝馬所へ出しておく。直ちに各宿へ継ぎ送りされる。尾州などの参勤交代は1000人を超える、何カ月も前にその藩の役人が事前に手配しておく。宿場は宿内の人馬で不足する場合は助郷村に事前に触れ集めておくが、村々の石高に応じて過不足のないように割り振る。公用の武士は横柄で威張り散らすから、恐れず対応しなければならない。胆力と気転がきかないと勤まらないのである。

 この伝馬役の管理運営は問屋場である。藤沢宿には大久保町と坂戸町の2カ所。輪番である。『藤沢市史2巻』には文政3年(1820)の書上げがある。それによると、それぞれ15名が10日交代で勤める、ただし公家衆や尾州などの大通行には両町挙げて運営する。その長が「問屋役」である。文政3年当時は大久保町は三田半十郎、坂戸町は平野屋平野孫七である。その補佐役で年寄役がいる。それぞれ2名ずつ、事務担当の「帳附(ちょうづけ)」計6名、「馬指(うまさし)・人足指」計8名、これは人と馬の手配と荷物の割り振りをする。このメンバー以外に問屋代や下働きがいる。面白いのは「出迎役」これは参勤交代などの一行を宿場の入口=見附まで出迎え本陣などへ案内をする。

 ちなみに大久保町の問屋場の位置は現在の本町1丁目3番37号小型自動車部品商会の所、坂戸町は本町4丁目5番21号南消防署本町出張所にあった。


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