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藤沢宿の赤穂義士伝承 郷土史研究家 平野 雅道


『東海道藤沢宿役人史料1』(藤沢市史料集三十、藤沢市文書館)が平成18年3月に刊行された。当家の古文書類である。そのひとつに掲載写真の史料がある。元禄12年6月、播州赤穂の浅野家一行の宿泊記録で、静岡県三嶋宿瀬古本陣の宿割帳(写)である。当家の家宝である。あだ討ち物語で有名な「忠臣蔵」の事件は、その2年後のことである。本文に三嶋宿瀬古本陣家にあったものとあり明らかに後世の写しである。「是者義士本有」と筆跡が別人のもので数枚添付されている。全文を解説とともに史料集30に掲載しておいた。

 当家の言い伝えが面白い……赤穂義士のひとり赤垣源蔵が元禄時代に当家旅籠(はたご)、鎌倉屋に宿泊した記録だ……とされてきた。『赤垣源蔵』とは正しくは『赤埴(あかばね)源蔵重賢(しげかた)』馬廻役200石、行年35歳。この人物の逸話は「徳利の別れ」で有名。巷説では大酒のみで実兄に最後の別れを告げようと訪問したが不在、仕方なく兄の着物と酒を酌み交わし最期の別れとしたのであるが……

  赤垣源蔵与申者、元脇坂淡路守様御家中兄宇右衛
  門脇坂ハ番中ニ而弟赤垣源蔵者浅野内匠頭御家中
  ニ行 日比大酒ゆへかたきうちの前夜脇坂屋敷兄
  宇右衛門方江いとまこいの挨拶ニ而参ル、兄ヲ尋
  ね候得者、内房時ニ外江参り一両日も手間取可申
  与申ルニ付仕方なく徳利酒壱升出、兄帰り候得者、
  遣し被下帰りけり、兄其夜帰り女房、弟源蔵参り
  事之と申候、其旅人の名も聞不申ゆへ内房しから
  れ申候、翌朝かたきうちニ出申候

 大意は兄脇坂宇右衛門(人物不明)の屋敷に討ち入り前日に暇乞いの挨拶に徳利酒1升を持参した、だが兄が不在で内房=妻に渡しておいた。妻は誰だか分からず名も聞かなかったので主人=兄に叱られた、翌日討ち入りだった、というものである。源蔵は1滴の酒すら飲んでいない、ただ徳利を置いてきたのある。また、どこにも当家鎌倉屋に宿泊したとは書いていない。

 どうなのかな、もしかしてと期待を膨らませ過大な空想が無理やり作り話にしてしまうことがよくある。家伝とは、面白い。古記録は無愛想でロマンがない。むしろ、いろいろ思いを巡らすだけでよいのかも知れない。


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