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藤沢宿の人々と柄沢隆昌院 郷土史研究家 平野 雅道



柄沢隆昌院の境内には「六百遠忌報恩塔」がある。日蓮上人忌引(弘安五年西暦1282年)の法要を祈念して明治14年(1881)11月に建立された。この報恩塔建立の経緯は現在不明であるが、報恩塔の台石には世話人名がある。橋本日有(にちう…保太郎)・蒔田惟庸(これつね…源右衛門)・福岡平一郎・寺田三郎兵衛など藤沢宿の有力者の名がある。それぞれ藤沢宿坂戸町妙善寺の檀家で、本堂裏手には歴代の墓石が古色蒼然とある。『現在の藤沢』(昭和8年刊行、加藤徳右衛門著)には概略がわかる。

 ○橋本家……藤沢宿大久保町「亀屋」代々四兵衛、この時期は「保太郎」である。

 ○蒔田家……藤沢宿坂戸町本陣、代々「源右衛門」11代目、『小川泰堂伝』小川雪夫著では泰堂の高弟

 ○福岡家……藤沢宿大久保町、正月屋初代郵便局として知られ徐福伝説のある家系

 ○寺田家……藤沢宿大久保町、稲元屋のち明治24年明治天皇の行在所となった立志伝中の人物

 平成11年と12年にわたり藤沢市文書館が刊行した小川泰堂の晩年の日記『四歳日録』上下(明治6年〜10年)には頻繁に登場するお歴々である。

 もうひとつ隆昌院本堂の長押には『感応』と書かれた木片がある。大正5年8月に奉納され「草場ヨシ当57歳」と読める。日蓮宗派の歴史に詳しい鎌倉市城廻の郷土史家石井博さんにおうかがいすると大鋸町の「五七屋(ごしちや)さんのことと言う。山本悦三著『移り変わる藤沢の街』(昭和55年自費出版)によると穀類肥料商に確かにその屋号がある。五七とは?「五とは妙蓮華経、七とは南無妙法連華経の日蓮宗派のお題目のこと」と教えていただいた。

 さらに五七屋さんには家伝があると言う……日蓮が龍ノ口法難(文永8年西暦1271年)9月のあと、佐渡流刑に決り愛甲郡依智(厚木市)に一時お預けとなった。鎌倉からの途中、藤沢の先祖草場家に止宿、その縁で屋号を「五七屋」とした……小川泰堂の『日蓮大士真実伝』は藤沢宿坂戸町妙善寺の由来に触れている。もとは真言宗だった真蔵院に休憩し長藤住持が改宗したとある。この位置は常光寺の西南だったという。

 鎌倉古道が鎌倉→腰越→藤沢→厚木と通じていたことが推測できて大変に興味深い。


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